稲荷山との接し方~ここは観光地ではありません。~

神社、仏閣に参拝するときの基本姿勢を見直しましょう。

眼力さん 稲荷山との接し方
拝む人々 修行僧

稲荷山の本当の姿

すっかり世界の観光都市として定着した京都。なかでも伏見稲荷大社は外国人が多くなり、日本人旅行者にとっても、神社と言うより「いち観光地」として認識されるようになりました。ここではちょっと勘違いされている稲荷山の本当の姿を私、KATOの私見で少しお話させていただきたいと思います。


●第一話●

ここは観光地ではありません。

にぎわう本社

伏見稲荷は2014年以降「外国人が選ぶ日本の観光地」の一位に毎年選ばれ、現在、外国人と日本の観光客で混み合っています。

そんな中、一部のネットには「神主と巫女の態度が最悪!」とか、「茶店で商品に触って選んでいたら店員に怒られた」 など観光地に求めるようなサービスの悪さを訴える書き込みが見られます。

巫女さんとお守り

初めて来てそんな目に遭った人にとってはごもっともな意見かもしれませんが、まず最初に知っておいて頂きたいのが、伏見稲荷は観光地ではありません。

後ろの稲荷山を含め「修行のための山」です。昔は修行者や不治の病のある人が白装束で滝修行や願掛け祈願のために登っていた山なのです。

特にお山の途中にある茶店(ちゃみせ)は遠方から来た修行者を宿泊させるための旅籠(はたご)でした。時代とともに宿泊を伴う参拝者はいなくなり、お茶やうどんを出す商売だけが残りました。

稲荷山

昔は鳥居をくぐるときも一礼し謙虚に端を歩いて参拝していました。真ん中は神様が通られる場所だからです。そしてお山に持ち込んだ弁当やそのゴミは自分で持ち帰っていました。全て自分で修行をさせてもらうために訪れた場所だからです。また、お店の女将さんや店員さんにも自分たちのお世話をしてくださることに感謝し「ありがとう」という精神で接していました。

私はこちらの稲荷山に観光地ブームが来る前からもう十数年通っていますが、最近の観光者の態度を見ていられません。そしてお店の女将さんや店員さんの「困惑」にも同情しつつ、これは利益を伴わない第三者が観光者に教えて差し上げるべきだと思いました。

KATO

火の行を行う修行僧

※この写真はイメージです。


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