


新型コロナウイルスを通して考える、日本の未来
外出自粛、家に閉じ込められた理由
先日、朝の番組に養老先生こと養老孟司さんが出ていました。
昔、結核にかかった生徒は他の生徒に移さないように一定の期間休学をしなければなりませんでした。その休学が終わり学校に戻ってきた子供はみんなより少し考え方がしっかりして大人になったように見えました。なぜなら家に籠り一人で人生に対して考える時間があったからです。
また一日中家にいるとやることがなくなってきます。そんな時手作業をするとふと心が静まり幸せな時間を過ごせたりします。人間は意外と自分は何をやっているときが一番幸せなのか知らない人が多いと言います。巣籠りはそのことに気付かせ、自分を知るのに良い経験になったのではないかと先生は推測しています。

私たち現代人は意外と先を考えることが苦手です。それは平和で安全な社会にいる副作用かも知れません。たぶん10年後も「安全に」「人並みな」人生を「なんとなく」歩んでいるだろう…。ほとんどの人が具体的なプランを考えられず、自分の計画で生きているつもりが実は「人並み」というものさしに合わせた時間にただ単純に流されているだけではないのか?
今回の新型ウイルスによる外出自粛で私たちはただ「ステイホーム」するのではなく、考える時間を与えられたと捉え、今後自分の生活をどうすべきか、住む場所は、仕事は本当にこれでよかったのかを再確認する時間だったと置き換えるのが適切なのではないでしょうか?
外国人観光客は本当に必要か

伏見稲荷大社は2014年から6年連続外国人観光客が選ぶ日本の人気スポット1位に選ばれてきました。ご存知の通り境内も山中も9割が外国人で日本人参拝者と観光客が敬遠して来ないという状況まで陥っていました。

京都に限らず日本中の地下鉄などの乗り物や街なかに中国語、韓国語のサインが増え「あれ?日本ってこんな国だったっけ?」と思った人もたくさんいたのではないでしょうか?
稲荷山の神様は商売の神様ですので来てくれる人が多いのは嬉しいこと、いいことだと肯定していると私は思います。しかし世の中にはバランスがあります。一方だけを贔屓してもう片方を見切ってしまってはその先どうなるかよく考えなさいと暗に示しているのではないでしょうか?

士魂商才(しこんしょうさい)
日本の資本主義の父、渋沢栄一さんの言葉です。 利益を追求すること自体は当然のことである。しかし同時に公益になる仕事をしなければ(選ばなければ)ならない。
どうでしょう。ここ数年の宿泊施設、航空会社、インバウンドに携わる事業にこれに当てはまっていた企業がどのくらいあったでしょうか?むしろコロナが広まり営業自粛した後の方が宿泊施設は医療従事者に無償でベッドを提供し、人が乗らなくなった航空機、タクシーは荷物を格安で現地まで運んで企業や商店に貢献しています。

今起きていることの方が商売の原点に立ち返っていると言えます。(こういうことははじめは無償であっても人はそれをしてくれた人のことは忘れないもので必ず後から恩義を返してくれやがて商売につながるものです)
昭和の時代、日本人は自動車や精密機械の輸出で世界にその名を轟かせてきました。平成はその勢いも落ち、まるでお爺ちゃんの名声で過ごしてきた子孫のような立場でした。そのわずかな貯金も今回のコロナショックの給付金というかたちで国は今後税金を使い果たしてしまうでしょう。我々日本人が貯金も名声も特技もなく、いよいよ素に戻る時期が来ています。
これから何をし、考えますか?
今後私たち日本人はいままで通りインバウンドに力を入れて行っていいのでしょうか? それとも新しい産業を見つけるのでしょうか?
私個人的にはぜひとも日本はまた新たな産業を見つけて世界に貢献するのがベストだと思っています。 大きな研究や開発は国や企業がすることですが、その骨組みは私たち一人一人の意識が左右します。

そのためには、学問のありかた、生活の仕方など生き方に信念を持った「道(どう)」が必要です。よく考えることもなくただ時間に追われていた日常を離れ、朝晩瞑想や写経をする時間を取ってみるのも良いでしょう。きっと新しい自分なりの道を見つけられるでしょう。

養老先生の言うように一人でじっと考え自分の特技を知り、渋沢栄一さんの言うようなみんなのためになる仕事を選ぶ。これが今後世界で日本人が生き残って行くためのキーワードになるでしょう。
私は自画自賛ではなく、他国の人から見ても日本人とは優れたブランドだと考えます。 国民には全員にこの国に生まれた理由たる素質があり、それを思い出す義務があると思います。 ぜひ信仰を通してそのことに気付きが来ることを自分を含めすべての人に願ってやみません。
KATO
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